2024/09/2(月)〜2024/09/8(日) 中国茶のエンターテイメント性・実家の本棚・字幕をつけてテレビを観る

2024/09/2(月)

昨日の宇多田ヒカルのライブの余韻にずっと浸りまくっている。洗濯物を干していてもシャワーを浴びていてもずっとうっすら幸せ。心が穏やかでなんだか明るい。リビングの隅の壁に光と影のコントラストできていて、それにいたく感動したりした。

2024/09/3(火)

お昼ご飯にレタス・水菜・キャロットラペ・水煮大豆・アボカド・茹で鶏をほぐしたもの・きゅうり・レンジで作った温泉卵をどんぶりに入れて少量のドレッシングとオリーブオイルと塩コショウをかけて食べた。うんまい。冷蔵庫の残り物を集結させただけなのに、どうしてこんなにおいしいんだ。食感が違うのがいい。素焼きミックスナッツを砕いて混ぜ込んでもおいしかっただろうな。それにしてもうまかった。

2024/09/4(水)

朝から娘の療育。ねむたすぎてぼーっと過ごしてしまった。その後、自転車で娘を保育園まで送り届ける。一度家に帰り、パソコンを持ってファミレスで開いてしばし仕事。ねむすぎて全く捗らん。帰って寝る。惰眠をむさぼることだけはいつも滞りなく完遂することができる。

2024/09/5(木)

ここ最近、ノンフィクションやエッセイ本ばかり読んでいたからか、急に「非現実!非現実が欲しい!嘘の話!作り話が欲しい〜!!!」という気持ちになる。アルバイトの昼休みに図書館へ走り、SF小説を5冊借りてきた。重かった。

2024/09/6(金)

おやつの時間に、先週宇多田ヒカルのライブの前に横浜中華街で買った中国茶を飲む。

一口に含むだけで鼻から頭頂にまで良い香りが抜けていき、全身にうっすらかいた汗まで一気に良い匂いに変わった感じがする。体の緊張がほっとほどけて気持ちいい。

しかしこのお茶のお気に入りポイントは、味や香りではなく、淹れた時のエンターテイメント性だと思う。ぎゅっと丸まった形で乾燥した茶葉をマグカップに入れ、お湯を注いでおくと、いつの間にか美味しいお茶の中に葉っぱが出現しているのである。

異国の地で育ち、顔も名前も知らない人の手で摘み取られた一枚の葉っぱが、選別・乾燥・梱包、そして海を超えていま私の手元にあるマグカップの中で再び元の形に開くというのは、なんともまぁロマンを感じようと思えば感じられる話だと思う(感じずに飲むことも可)。

2024/09/7(土)

夫と娘と一緒に私の実家に帰った。父の墓参りをして、家族で夕飯を食べる。数年前まで実家にいても落ち着かないを通り越して、つねに緊張状態でいたのだけれど、今日はだいぶゆったりとした気分で過ごすことができた。

何が原因なんだろう、と考えるとすぐに思い当たることが数個あるのですが、どれも色んな人・環境に対しての悪口なので黙っておきます。


布団を敷く前にふと自室の本棚の方を見たら、当たり前だけど全部昔読んだ本でなんかうれしかった。

実家の本棚って不思議だ。今も読み返す一軍の本は一緒に連れてきちゃったから、一度読んだけど手放したく無い程度には好きな本が並んでいる。

嶽本野ばらオーケン村上春樹……なんかあのころ地方に住んでたサブカル憧れ学生の模範的な本棚って感じだな。

お〜い、あの頃の私〜!お前が来店するたびに毎回読みたい本だらけでどれを買えばいいのかと頭を抱えてしまうあの楽しいお店・ヴィレッジヴァンガードでなぁ、数年後にバイトすることになるぞ。そして1年半ですぐ辞める。

2024/09/8(日)

実家の布団で起床。昼飯は、母と母方の祖母とおじとともに和食レストランでご飯を食べた。母方の祖母が「生きてるうちにまた会えて良かった……」と何度も言っていたが、見るからに超元気だった。そのまんまでいてくれよな。

13時すぎに新幹線に乗り、実家から帰宅。乗るたびに思うけど、新幹線っていくらなんでも速すぎる。

夜はレモンサワー片手にNHKの『100分de名著』の源氏物語編を観た。

私は普段、テレビ番組を最後まで見れないことが多い。ドラマにしてもバラエティにしても、集中して画面を見続けていられないか、反対に集中しすぎて疲れてしまって結局テレビの前から離れてしまう。だけど今日はなんとなく字幕をつけて観てみたら、心地よいくらいの集中が途切れずに最後まで視聴し続けることができて自分でもびっくりした。

もしかして私が苦手なのって映像を見続けることではなく、音声を正確に聞き取ることや、演者の身振り手振りから内容を汲み取ることだったのかも。それらを見逃さないために集中して、なんとか読み取った内容を頭の中で整理するのに体力を消耗していたのかもな。

字幕という補助線を引けば、私にだってテレビが観られるんだ。へぇー!うれしい発見だった。