5月29日(月)〜6月4日(日)

5月29日(月)

  • 舐めるなよ!
  • 夕飯:チンジャオロース、蒸し根菜、たまごスープ、白米

5月30日(火)

  • 朝、母が笑っちゃうほど大きなトラブルに巻き込まれていたことを知る。とりあえずバイトを休んで地元に戻り、できることをしてまた自宅に帰る。肉体的にも精神的にもクタクタなのに、妙に目が冴えてアドレナリンが出まくっているのが自分でもわかる。昨日までこんなことになるとは思っていなかった。真正面からこのトラブルを受け止めるのは辛すぎるので「この経験を将来マネタイズしてやる」と思って色々メモする。しんど。父が死んだ7年前から、2年毎に割りと大きめのトラブルに巻き込まれている。少しでもハッピーになりたくて寿司食って帰宅。家のドアを開けたら娘が「ママ!どこいってたの〜?!」ってすっ飛んできて、そうだよこれが私の日常だよ、って思って泣きそうになる。
  • 夕飯:回転寿司

5月31日(水)

  • 自宅で昨日のトラブルについて各所から連絡があり、その対応など。その合間に仕事。だんだんと現実を受け入れてくる。怒り悲しみ焦り不安が順番にやってきたかと思いきや、急に超前向きになったりする。躁鬱。夫に愚痴を聞いてもらいながらなんとか仕事をしていると、トラブル対応に当たってくれた人からの電話。現状の共有などをしてもらったあと、会話の最後に「さっきお母さんに連絡したら、受け答えがフワフワしていた。ちょっとまだ現実を受け止めきれないのかも。娘さんが支えてあげて」と言われて、キレそうになってしまった。現時点で相当頑張ってるやろがい。疲れて鬱っぽくなっていたら、今度は妹から電話。色々話すうちに、「それでも生きていくには、なんとか前向いて頑張っていかなきゃならないね」という結論になり、そりゃそうだね、と思って少しだけ元気が出てくる。
  • 夕飯:忙しすぎて記録してなかった、なに食べたんだ?

6月1日(木)

  • syrup16gのライブに行った。トラブルが大きすぎて行くか迷ったけれど、本当に行ってよかった。このライブに行ったということが自分の人生の支えになるし、考え方の軸にもなる気がする。それくらい良かった。

nemutage.com

6月2日(金)

  • バイト。働いている最中にも各所から連絡あり。「最大級に不幸じゃなかったんでラッキー!」「もっとヤバい状況になった世界線から見たら羨ましい状況」みたいな「よかった探し」を始めてだしている。よかった探しは一時的には元気になるけど揺り戻しがあるからできるだけやめたい。でもやっぱどこか楽観的になりたくってスピリチュアル大喜利みたいなことまで考えてしまう。精神的に疲れてんだろうな。
  • トラブル対応、もうほとんどできることは終わったと思う。だからこれからはトラブルが起きたその後の人生のことを考えていかなきゃ。トラブル対応はトラブルを起こした相手への恨みが原動力になっていたが、その後のことは自分たちで考えて調べてその時々に合わせて対応していかなきゃで面倒だ。そしてこれは人生が終わるまで続く。事実が発覚した火曜日から分泌されてきたアドレナリンもだいぶ少なくなってきた。だるい。眠い。10時間でいい、ぶっ続けで寝たい。
  • 夕飯:忙しすぎて記録してなかった

6月3日(土)

  • 午前中は仕事、午後は娘と遊ぶ。
  • 夜、妹と電話。現在の状況の確認とか、今後について色々と相談するうちに、流れで幼少期に嫌だと感じていた色々について吐露することとなってしまった。記憶に無理やり蓋をして無かったことにしていた思い出を引っ張り出す行為は、最初は気持ちよかったのだが、だんだん辛くなってくる。頭痛が吐き気に変わってきたので急いで電話を終わらせる。
    • 頻繁に親が喧嘩をしていたこと、子どもながらに「なんとか親に仲良くして欲しい」と思って何にも楽しくないのにおどけてみたり楽しげに振る舞ったりしたこと、テストで良い点数を取ったら親が褒めてくれて家の雰囲気が良くなったので嬉しくなって頑張りを続けたら当たり前になって苦しかったこと。
    • 幼少期は「しっかりしているけれど時々抜けている長女」という役割が与えられていた気がしてすごくつらかった……という記憶があるのだけれど、これのどこまでが正確な記憶なのかわからない。もしかしたら両親の喧嘩は実はごく一般的な頻度でしか(ごく一般的な頻度、というものがどれくらいなのかわかりませんが……私と夫は全く喧嘩をしないので……)行われていなかったけれど、父と母が怒って言い争っているという状況が嫌すぎて、楽しい記憶より色濃く残っているだけなのかも。あとは、大人になるにつれ知った用語に自分を当て嵌めたくって捻じ曲げているのかも。
    • あとこれは学校の話になっちゃうんだけど、中学生の時に家のことが本当に色々無理になって担任の先生の前で「私がニコニコしてないとあの家は無理なんです、だから無理してでも頑張ってないとダメなんです」って言って泣いたら、先生が「そうか、辛いんだな」って言って泣いたこととかもきっと多分一生忘れない。一緒に泣いてくれたことが嬉しかったんじゃない。「あぁこの人に話しても無駄だったんだな」という徒労感を感じたのを覚えている。共感が欲しかったんじゃなくて助けて欲しかった。
    • 家族でたくさん旅行したけれど、あの場所に行って楽しかったという記憶よりも、旅行の帰り道で必ず父と母が喧嘩するのが嫌だったという記憶の方が強い。
    • 妹は「母はハッキリ言わないと相手が嫌がってるってわからないタイプだから」と言ったけれど、じゃあなんと言えば良いのだろう。嫌なことはいっぱいあったけれど、母を傷つけてはいけないと思って言えなかったことはいっぱいあったし、いまだって母を傷つけるくらいならばわかってもらわなくて良いと思ってしまう。あなたはしっかりしているからと呪いみたいに言われ続け今もしっかりを強要されている気分だと伝えても良いのだろうか。直接的な表現を避けて察して欲しいスタンスを取る癖に、してほしいことをしてもらえないと時間差で怒るのも嫌だ。父が死んだ時に「好きなことをすれば良いんじゃない、カルチャースクールに通うとか」って言ったら「そんなところに通ったって、年寄りの茶汲みをしたりしなくちゃいけないだけ、そんなの嫌だ。今更友達なんて作るのはしんどいから、あなたが実家に帰って来なさい」と言われ、私って母を楽しませるために生きてんのか?と思ったことは絶対に絶対に絶対に忘れない。でも、お母さんには幸せになってほしい。けれど、それぞれ違う場所で幸せになりたい。それって冷たいんだろうか。苦しい。
  • ぐったりして這うように布団へ。しかし、色々考えてしまって眠れない。頭の中でハロプロのMVを1つ1つ丁寧に再生するということに注力して無理やり気持ちを切り替えて寝た。好きなものがあってよかったね。
  • 夕飯:記録してなかった

6月4日(日)

  • 昨日いろいろ思い出してしまったことで精神的ダメージがすごい。だるい。
  • 昨日考えていたことは、単に思考放棄な気もしてきた。ネットで見たの記事に「私もそれかも!」と思ってそれっぽい記憶だけを抽出して「私は可哀想な子どもだった」という結論をだして気持ちよくなって考えるをやめているだけではないのか。
    • 読み返すと被害者意識が強すぎてうわっとなるけれど残しておく。将来的にこの日記を製本して文学フリマで売ってやろう。その本が売れた金で溺れるほど生ビールを飲む。銘柄は絶対にアサヒスーパードライ。ぜって〜〜ただじゃ起きないからな、クソがよ。
    • 両親には感謝している。金銭面では何不自由なく好きなことを学ばせてもらったし、私の根っこにある「絶対的に運がいいし、辛いことがあっても最終的には絶対に幸せになる」という考えの礎をつくってくれたのは、両親と両親が用意してくれた環境だと思う。でも、バイブスが合う人たちではないから、あんまり近くにいるとしんどいし息苦しい。
  • 母と私は別の人間だということ。家族だからってわかりあえないことはあるから過去にされたことは恨んで良いし許さなくていい。そして、それとはチャーミングだなと思うところは愛して良い。別の場所で幸せになったっていい。気が向いたら同じ場所で幸せになっていい。いま『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を見返したら刺さりすぎて気持ち悪くなっちゃうんだろうな。
  • 一日情緒が不安定だった。が、仕事はあるので、必死でこなす。ずっと憧れていた「文章で金をもらう」という仕事は、しんどくてもなんでも絶対に手放さない。
  • 夕飯:夫が買ってきてくれた崎陽軒のシュウマイ弁当

この日記を更新している今(6月9日)は、先週より元気で〜〜〜〜す✌️ピース